なべはるの人事徒然

フィードフォース人事の中の人。採用、教育、評価制度、組織活性など、日々考えていることを綴ります。現在人事で働いている方、人事の仕事に興味のある方、就職活動中の学生などに読んでいただけたら幸いです。

最近の若者はすごい

休日の採用イベントラッシュが続いてブログ更新が滞ってました。やっぱりブログを続けるには時間と体力が必要ですね。

というわけで今回は軽めの話題です。久しぶりに書いたからか、話がまとまらなかった…。

最近の若者について色々言われているけれど… 

「ゆとり世代」「さとり世代」「指示待ち」「欲がない」「敬語ができない」「礼儀がなってない」などなど、色々なことを言われている最近の若者たち。

週末に新橋あたりの飲み屋に行けば、「全く最近の若者はなっとらん!」というおじさん達の声も聞こえてきそうです。

日本生産性本部が、年代別新入社員のタイプなんてものも出してますね。毎年、「最近の若者」の特徴をうまい感じ(?)に揶揄して表現しています。

matome.naver.jp

ちなみに2015年は消せるボールペン型。

  • 書き直しができる = 変化に対応できる
  • 熱血指導をする(熱を加える)と、個性(色)を失ってしまう

とかなんとか。うーん、分かるような分からないような(;^_^)

今も昔も同じ

言い古されていることなのでわざわざ解説はしませんが、「最近の若者はなっとらん!」というのは大昔からずーーっと言われていたことです。

エジプトの壁画でも「最近の若者はなってない」と描いてあったなんて話もありました(デマだったようですが)。日本だと徒然草にそんな描写があるのだとか。

それくらい、昔から言われていることのようです。

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最近の若者のほうがむしろすごい

私自身、採用担当として「最近の若者」たちと日々接しているわけですが、どう考えても最近の若者のほうがすごい、といつも感心してしまいます。そしていつも、ちきしょー負けないぞ、という気持ちになります。

どんな点を特にすごいと感じるかを下記にまとめてみました。個人差はもちろんあるのですが、私の主観としてこんな人が多いな、というポイントです。

  • まじめ
    もう何と言うか、とにかくまじめな人が多い。授業にもまじめに出て、自己研鑽にも取り組んでいる人が多いです。
  • テクノロジーを使いこなす
    デジタルネイティブ世代だけあって、おしなべてテクノロジーを使いこなしています。
  • 多様な経験を積んでいる
    海外留学・アプリ開発・学生団体・サイト運営・ブログ執筆・起業経験・就業経験等々、様々な経験を積んでいる人が多いように感じます。

私が大学生だった頃(2002年~2006年)では学生時代に力を入れたことといえば、部活/サークルかアルバイトというのがほとんどだったことを考えると、どう考えても今の若者のほうがすごいように思えます。

テクノロジーの進歩がレベル差を広げている

今の若者がすごいのはテクノロジーが進歩したおかげではないかと感じています。

インターネットが、スマホが、各種アプリやWebサービスが情報の地理的・時間的制約をなくし、昔に比べて様々な情報を得やすく、かつ様々な人と出会いやすくなりました。結果、意欲のある人は何かにチャレンジする際のハードルが低くなり、色々な経験を積みやすくなったのだと思うのです。

↓中には大学生のうちからスゴいサービスを生み出す人も当然出てきます↓

jeek.jp

これは逆に言うと、若者に限らずテクノロジーを使いこなせる人と使いこなせない人の差はどんどんと開くということになりそうです。

最近の若者はすごいと言える大人になろう

ちょっと話が発散してきたので、山本五十六の名言で締めます。

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。

なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。

だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。

何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。 

山本五十六のように、何才になっても若者の可能性を発見して「最近の若者はすごい」と言える大人でありたいものですが、今の私はまだ「最近の若者はすごいけど俺も負けない!」と 大人げなくいたいなぁとも思っています。

やりがいのある仕事はないが、やりがいを感じて働く人はいる

「仕事のやりがい」について考えていることをまとめてみました。

誰だってやりがいのある仕事をしたい

就職活動中の学生に仕事選びの優先順位を聞くと、多くの方が「仕事のやりがい」を上位にあげます。もちろん人によっては「安定性」や「給与待遇」の方が大事だという人もいるでしょうが、やりがいのある仕事とない仕事だったら、誰だってやりがいのある仕事をしたいと考えているはずです。

www.hanakuro.jp

同じ仕事でも、やりがいを持っている人と持っていない人がいる

安定性や給与待遇等の諸条件は別にして、やりがいのある仕事に就くことが充実したキャリア = 仕事人生を歩めるとしたら、「やりがいのある仕事に就きたい!」「やりがいのある仕事って何だろう?」と就職活動生が考えるのも無理はありません。
最近では、働きがいがある企業ランキングなるものもあり、参考にしている人も多いかもしれません。

www.itmedia.co.jp

それでは、このランキングで上位に入ってる企業で仕事をすればやりがいを持って働けるのか…と考えてみると、疑問符がつきます。
特に既に社会に出て働いている人からすると、「上位のあの会社の仕事は自分には合わなそうだな」とか「この業界の仕事は自分にはやりがい感じられないな」という感想を持たれることと思います。

そう、同じ会社で同じ仕事をするにしても、やりがいを持って働ける人とそうでない人がいるのです。

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3人の石切工の感じているやりがい

ドラッカーの経営論に有名な3人の石切工の寓話があります。

3人の石切職人が働いていた。
そこを通りがかった旅人は石切の仕事に興味を持ち、1人目の石切職人に尋ねた。

「あなたは、何をしているのですか」

1人目の石切職人は「金を稼ぐために、このいまいましい石と悪戦苦闘しているのさ」とつまらなそうな顔をして答えた。

旅人は2人目の石切職人の横を通り同じように質問をした。

彼は「この町一番の石切の技術を身につけるためだ」と無表情に淡々と答えた。 旅人は3人目の石切職人にも尋ねた。

3人目の石切職人は空を見上げ目を輝かせながらこう答えた。
「私が切り出したこの石で、多くの人々の心の安らぎの場となる『教会』が出来るのです。きっと日曜にはたくさんの人が礼拝に訪れますよ」

「何をしているのですか?」という質問の回答から察するに、1人目の職人は全く仕事にやりがいを感じていないようですが、2人目は技術を磨くことにやりがいを感じており、3人目は自分の仕事のその先の成果に想いをはせて大きなやりがいを感じています。
3人とも、全く同じ仕事をしているにも関わらず、です。

ドラッカーがこの寓話を持ち出した主旨としては、マネジャーを任命するには3人目の男にせよ、ということなのですが、「全く同じ仕事をしていてもやりがいを感じる人とそうでない人がいる」ということにも気づかせてくれます。

やりがいのある仕事はないが、やりがいを感じて働く人はいる

こうして、どんな仕事であってもやりがいを感じている人もいればそうでない人もいることを考えてみると、仕事それ自体にやりがいがあるわけではなく、あるのはやりがいを感じて働いている人がいる、ということなんだと思います。
そのことに気づかないと、仕事自体にやりがいを求めてありもしない「やりがいのある仕事」を探してしまう青い鳥症候群になりかねません。
また、その人の能力・適性・組織の都合との折り合いがあるので、やりたい仕事を完全にコントロールして選ぶのは現実として難しいですが、やりがいを持って働くかどうかは自分の心の持ちようしだいなので、精神衛生上健全になれるようにも思います。
会社や仕事を選ぶ際は、ありもしない「やりがいのある仕事」を探す前に、自分自身の仕事に対する価値観を整理するところから始めてみてもいいかもしれません。
 

おまけ:学生が社会人に仕事のやりがいを聞くときに...

寓話の中で石切職人にした質問「あなたは何をしているのですか?」は仕事の本質を突いた良い質問だと思います。
それに比べると、就職活動中の学生が社会人に「今の仕事のやりがいは何ですか?」と聞くのはあまり良い質問ではないように思います。

質問に答える社会人としては、学生にカッコつけたい気持ちや、自社のことをアピールしなきゃ!という思いが少なからずあるので、「やりがいは何ですか?」と聞かれたら(普段はそんなこと考えてなくても)それらしい答えをひねり出してしまいそうです。

ここは素直に「あなた何をしているんですか?」と聞いてみるのはどうでしょう。
「営業だよ」「採用活動です」と職務内容を答えられたら、「その仕事の先には何があるんですか?」「その仕事の意味は何ですか?」「どうしてその仕事をするのですか?」と重ねて聞くと、その人の仕事観が見えてくるかもしれません。

 
(関連記事)

 ↓今の仕事にやりがいがない、と思っている方は我慢すべき苦労かどうか考えてみてもいいかもしれません↓

↓仕事観はいつ醸成されるかの仮説↓

nabeharu.hatenablog.com

会社の規模が変わっても個人の交友関係の幅は変わらない

大企業だとたくさんの人と交流が持てて成長するって本当?!

就職活動中の学生にどんな会社に入りたいかを聞いていると、「大企業のほうが色々な人がいるから勉強になるし刺激を受けて成長できると思うんです!」と言う方がいます(現職に転職してきてから特に多いです)。安定志向だから大企業に行きたい、というのではなく、色々な人から刺激を受けながら成長したいから大企業に行きたい!というのです。

この話、これまで何となく違和感を感じていたのですが、最近その違和感の正体が分かった気がするのでまとめてみます。

大企業は人数が多い分、色々な人がいる

色々な人がいれば、中にはスゴい人もいて刺激になる、勉強になる

一見すると問題ないと思えるこのロジックですが、これが成り立つには、「社員が増えると交友関係も広くなる」という隠れた前提が必要です。

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会社の規模に関係なく、交流できる人数は限られている

自分の会社に色々な人、スゴい人がいたとしても、普段その人と交流することがなければ刺激や影響を受けようがありません。

そして、人が交友関係を持つことのできる人数は会社の規模に関係なく限られているように思います。当たり前ですが、1万人の会社に勤めているからといって1万人全員と交流が持てるわけではないのです。
普通に働いていて社内で交流を持てるのは、同じ部署・仕事で関係のある部署・同期入社や年の近いメンバー、くらいではないでしょうか。

その人の性格や職種、会社の社風にもよるでしょうが、交友関係といえるほどの交流を持てる限界人数は通常で30~50人くらい、よほど社交的な人で100人くらいのように思えます(個人の感覚です)

こうなると、1万人の会社であっても50人の会社であっても、社内で交流できる人数には変わりはありません。大手企業に行くといろんな人と交流ができる、色んな人脈ができるかも~、と思っている人はこの点に注意したほうがいいかもしれません。

少人数の企業のほうが交友関係に幅が出る

企業規模に関わらず交友できる人数が限られるとしたら、むしろ少人数の企業のほうが色々な人と交流できるようにも思います。

例えば私の前職では人事部だけで40人余りいました。40人が私の限界交友人数だとしたら、人事部員だけでキャパが埋まってしまいます。また、課長・部長とは日常的に話すことはありましたが、その上の事業部長や役員とは中々日常の交流はありませんでした。
現職では社員全員で40人余りなので、同じ40人の交流でも社長を含む様々な部門・役職の人と交流できています。

このように、企業規模が大きいほど部門・役職を超えた交流がしづらくなることを考えると、少人数の企業のほうが色々な職種・役職の人と交流が持てると言えるかもしれません。

大学生の本分は学業?就活?それとも...

倫理憲章、また変更になる可能性が出てきましたね。

www.nikkei.com

今日のブログは、倫理憲章それ自体ではなく、議論の前提になっている「学生の本分は学業なのか」について思っていることを書きます。

学生の本分は学業?学業なんか役に立たない?

古くは就職協定、今でいう倫理憲章による採用時期に関する議論は、学生の本分である学業が就職活動によって著しく阻害されることを問題視されたものでした。

一方で、授業がつまらない、単位を取るのがカンタン、などの理由で大学で真面目に授業を受けても役に立たない、という意見の方もいます。極端なものだと↓のように、「学業よりも就活のほうが成長できる!」という主張まであります。

news.careerconnection.jp

学生の本分は学業だから就職活動なんかせずに、在学中は学業に集中したほうがいい!という意見と、学業なんて何の役にも立たないんだから社会との接点を持てる就職活動したほうが成長できる!という意見。私にはどちらも極端すぎて本質が抜け落ちているように感じます。

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人生を豊かにするための学業

大学生、特に文系学部生の多くは専攻とは直接関係のない就職先を選択します。そのことを指して、将来役に立たない知識を身につけても無駄...と捉える人もいるかもしれません。確かに、フランス文学史の知識もマクロ経済学の複雑な数式も徹夜で暗記した民法も、就職後すぐに役に立つことはおそらくないでしょう。

しかし、学問を学ぶのは、そこで得た知識を短期的かつ直接役に立てる場合だけではないはずです。

その学問を修めることで身につけた多様な知識や価値観、学習方法、物事を深く考察する思考力、他者との協力や議論等が、長期的に見れば必ずその人の人生を豊かにするはずです。

大学教育に抜け落ちているのは社会とのリンク

学業 = 人生を豊かにするためのもの、と位置づけると、確かに現在の大学教育は世情に即していないように感じます。
多少改善の動きが見られるとはいえ、知識偏重の詰め込み型・一方的な講義・教授の授業下手/低いモチベーション・扱っている内容が古すぎる 等々...。
社会とのリンクが見られず、大学内でのみ通用する学問/知識をたくさん身に着けた学生が学内では高く評価される状況では、大学での学業は無駄と言われてもある程度仕方ないかもしれません。

就職活動が、初めての社会との接点になっている

現在の大学での学業だけでは、社会との接点に触れたり考えたりする機会が少ないので、多くの学生は就職活動で初めて社会と接することになります。
偏差値やテストの点数など明確な指標があった世界から、急に自分が行きたい進路を自由に選べと言われ、グループディスカッションや面接という基準があいまいかつ身1つで勝負せざるをえない状況に放り込まれるのだから、戸惑って当たり前です。

多くの学生がそうして戸惑い、初めは失敗しながらも段々と社会と自分との接点を見つけ、納得のいく就職先を見つけることになります。就職活動が長期化している原因の1つは、企業の採用活動時期うんぬんではなく、こうした社会と自分との接点を見つけることに時間がかかるためだと思っています。
逆に言えば、短期間で複数の内定を勝ち取る一部の学生は、それまでの学生生活で社会とリンクする活動をしていた人でしょう。

社会とのリンクを意識しながらも、学業を頑張ってほしい

学生の本分は学業。私自身はこの意見には全面的に賛成です。

どんな分野であれ、本気で試行錯誤しながら学ぶのであれば、その後の人生で必ずプラスに働きます。一方で、講義をまじめに聞くだけ、テストの前に一夜漬けをするだけ、の学習をしているだけでは将来のプラスにはあまりならないでしょう。

今目の前のものに盲目的に取り組むのではなく、将来社会に出たときに必要な能力や経験、思考はどういうものかを意識したうえで学業に取り組みましょう。もし、今のカリキュラムだけでは社会とのリンクが薄すぎると感じるのであれば、自らそういった場を探したり作ってみればいいです。きっと、今までにない世界が広がって人生が豊かになることと思います。

(おまけ)社会とのリンクを意識している秋田国際教養大学

社会とのリンクを強烈に意識している大学もいくつかあって、そのうちの1つが秋田国際教養大学です。

  • 授業は全て英語
  • 半数以上が外国人教員
  • 1クラス平均17人の少人数制
  • 1年間の海外留学が義務
  • 在籍学生の5人に1人が留学生 

などなど、社会(というかグローバル)を強烈に意識した特徴を持っています。就職率も98%とべらぼうに高く、県外含めて高校生からの人気が高いそうです。

こういった、強烈な個性やコンセプトを持った大学が今後ますます増えるかもしれませんね。

【仮説】仕事観が醸成されるとき

【疑問】仕事観はいつどこでどのように醸成されるのか 

これまでの、スカウト/ヘッドハンティングや新卒・中途採用業務を通して、人が仕事や会社を選択・決断する場面に数多く立ち会いました。数だけで言えば4ケタを超えるかもしれません。

当然のことですが、仕事への価値観 = 仕事観は十人十色です。
仕事を自己実現の手段と捉えている人、社会貢献のために仕事をしたいと考えている人、安定していて残業が少なく休みも取りやすい仕事がいいと考える人、とにかくたくさんお金を稼ぎたいと思っている人、仕事が楽しくて仕方ないという人、働いたら負けだよね、と思っている人 etc...。

価値観は人それぞれなので良いも悪いもないのですが、ふとそういった仕事観はいつどこで醸成されているんだろうか、仕事をネガティブに(=辛くて避けたいもの)捉える人と、ポジティブに(=辛いこともあるけどやりがいのあるもの)捉える人がいるのはどうしてなんだろうか、という疑問がわいてきました。

私はキャリアの専門家ではありませんし、そういった研究に詳しいわけでもありません。また、私自身でも結論が出ているわけではないので、本ブログはこの疑問に対する思考過程と現時点での仮説を備忘録代わりに残しておこうかと思います。
思考過程を残す、という特性上これまでの記事以上に「思います」「気がします」という推定文ばかりです。

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仕事観は、仕事をする前からある程度固まっている?

明確な根拠はないので肌感覚での仮説ですが、実際に社会人として働き始める前、大学生で言えば就職活動の前後くらいには、ある程度仕事観が固まっているのではないかな、と考えています。少なくとも、仕事をポジティブに捉えているか、ネガティブに捉えているか、のベクトルくらいは決まっていそうです。

もちろん、実際に社会に出てみて仕事の現実を知って考えが変わることもあるでしょうが、そこで変わるのも一定範囲内のマイナーチェンジ程度であって、ドラスティックには変わらないように思います。

例えば「バリバリ働きたい」と学生時代に思っていた人が就職後に「自分にとってのバリバリとはメガバンクじゃなくてベンチャー企業で働くことだな」みたいな変化は十分ありそうです。一方、「バリバリ働きたい」と考えていた人が急に「仕事も収入もそこそこでいい、休みがとれて安定しているほうが大事」と考えが変わることは想像しづらいです。

100%ではないにせよ、実際に働き始める前に、仕事観はある程度醸成されているのでは、というのが仮説の1つ目です。
では、どのような要因が仕事観に影響を及ぼすのか。

家庭環境の影響は大きいが、正の相関はあるか?

仕事観の醸成に影響を及ぼす要因として、まず思いつくのが家庭環境です。
身近に触れる家族はどのような仕事観を持っているのか、収入レベルはどれくらいか、どのような教育方針だったか等々…影響は大きそうです。

ただ、こういう家庭環境だとこうなる、と単純には言い切れないのではないかな、とも考えています。
例えば、「親が仕事に対してネガティブな感情を持っていて家ではグチばかり」という環境があったとしても、ある人は親同様に「仕事は面白くないものなんだな」と捉え、ある人は「グチばっかりの親がカッコ悪いから自分はやりがいを感じて働こう」と捉えるかもしれません。

このように、家庭環境による影響は確かにあるだろうけどそれがどのような影響かは結局のところ人による、ように思います。

仮説:努力した末の成功体験が豊富な人は仕事をポジティブに捉え、成功体験が乏しい人は仕事をネガティブに捉えやすい

今のところ私自身が一番しっくりきている仮説がコレです。

成功体験というのは何でもよくて、例えば「勉強がんばったらテストで良い点が取れた」とか「毎日素振りしたら試合でヒットが打てた」などなど。
こういった、自分が頑張ったことが結果として返ってきて、自分の人生は自分でコントロールできるんだな、と気づいた人は、仕事だって頑張れば何とかなる、とポジティブに捉えやすいのでは、と考えています。

ベンチャー/スタートアップに就職する人は仕事観がポジティブな人が圧倒的に多いと思いますが、ベンチャー志望の学生にいわゆる高学歴の人が多いのは、受験での成功体験がある分仕事観もポジティブになりやすいのでは、とも思っています。

 

そんな気がする、程度の根拠希薄な仮説ではありますが、備忘録として残しておきます。

 

(おまけ)

その人の仕事観が醸成された過程をヒアリングしてみたら面白そうですね。半生を語ることになりそう。
月に一度くらい、サシ飲みとかでやってみようかしら。

あなたの部下がまだ会社を辞めていない理由を言えますか

晴天の霹靂のごとき部下の退職

能力が高く、素直でやる気もある若手社員が自分のチームに配属された。しっかり育てて自分の右腕に、ゆくゆくは会社の中核に…と目をかけていたメンバーからある日突然辞表を提出された…。どうしてこれだけ期待も評価もしていたのに辞めてしまうんだ…せめて事前に相談してくれれば…そんな経験ありませんか?

でも、辞めた本人からすれば、「逆に何で辞めないと思ったんですか?」という気持ちかもしれません。

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優秀と思っている人ほど、辞めるリスクが高い

当たり前の話ですが、社内で活躍している人ほど社外でも活躍の可能性が高く、働く先の選択肢は多いはずです。

また、活躍している社員は自分に自信を持っているので、働く環境が変わってもやっていけるだろう、と転職をポジティブに考えています。

ですので、期待をかけている人ほど辞めていく、のはある種当たり前なのです。

メンバーが自社で働く意義と理由を把握する

そうはいっても、期待をかけている社員に急に辞められたら困ります。

仕事観・キャリアプランはそれぞれですので、辞められないようにする万能薬はないのですが、最低限、その社員が自社で働いている意義を把握しておく必要があるのではと感じています。

  • その社員がどんな仕事観を持っていて、将来どうなりたいと考えているのかを把握するため対話する
  • 社員の目指すキャリアを実現するために自社で働く意味/理由はどこにあるのかを一緒に考える
  • もし自社で働く意味/理由が薄いと感じられる場合は、代替で提供できるモチベーションは何かを考えておく

上記を日ごろから行っておくことで、少なくとも「青天の霹靂で辞められてしまった」という事態の多くは避けられると思います。逆に、もしメンバーが自社で働く意義を把握していない場合や代替で提供できるものがない場合、辞めていないのはたまたまであって、何かの機会があればすぐに辞めてしまう可能性があります。

ちなみに、キャリアパークの円満退職の退社理由ベスト3!気持ちよく仕事を辞める方法とはによると、建前の転職理由1位は「キャリアアップしたかった」で、本音の転職理由1位が「上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった」という恐ろしいアンケート結果が出ています。

ギクっとした方、メンバーと対話の時間を作ってみてはいかがでしょう?

自分の仕事じゃない仕事はない

知らず知らずのうちにお役所仕事になってませんか?

人事として働いていると、現場社員から様々な要望/相談/依頼を受けることがあると思います。

その内容は、

  • 開発チームの人員が足りないから新規に採用してほしい
  • 新入社員が現場に配属される前に最低限のビジネスマナーは身につけさせてほしい
  • 年金についてよく分からないので相談に乗ってほしい
  • 有給申請ってどうやるの?
  • 電池買いたいんだけどどうすれば?
  • トイレの電球切れた

等々、多種多様な依頼/相談がくることでしょう。

中には明らかに自分の業務の守備範囲外の依頼を受けて、「それは私の担当ではありません」「それは総務に言ってください」等と、お役所みたいな対応をしてしまうこともあるかもしれません。

しかしあえて言いますが、人事を含む管理部門において、自分の仕事じゃない仕事はありません。
ここでは、現場社員から見た管理部門の見え方と管理部門としてのあり方について考えて見ます。 

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現場社員から見ると、人事も総務もまとめて「管理部門」という認識

人事として働いていると、中途採用担当と給与計算担当と資材購買担当が全く別の仕事をしていることを当たり前のように知っています。

しかし、普段営業や開発などの現場で働いている社員からすると中途採用担当と資材購買担当の区別はついておらず、まとめて「管理部門」という認識です。

そんな状態であれば採用担当者にトイレの電球が切れた相談がくるのも当たり前。そういうもんだ、と思っておきましょう。

管理部門(特に人事)は何となく怖い

会社ごとの事情にもよるでしょうが、一般に人事の実態を知らない現場社員にとって、人事部は何となく怖い/近寄りがたい、というイメージがあるようです。査定や人材配置等が行われるので、敵に回したくない部署というイメージがあるのかもしれません。

(『人事部は見ている。 』という恐ろしげなタイトルの本も出版されているくらいです)

そんな怖いイメージを持たれている人事部ですから、相談に来た社員はもしかしたら少し緊張しているかもしれません。
特に大企業では、下記↓のようなことが頻繁に起こっているかもしれません。

年金制度について聞いてみたいことがあったからとりあえず人事のフロアに来てみたけど知った顔もいないし…とりあえず近くの人に聞いてみよう、と思い切って声をかけると、「それは私の担当じゃないんで△△さんに聞いてください」とのこと。そう言われても△△さんが誰か分からないよ…また誰かに聞いてみよう。えっ△△さん休み?じゃあどうすれば…

このような体験をさせてしまっては、ますます人事は近寄りがたい存在と思われてしまいます。

管理部門の仕事は自社を良くすること

営業部門などに比較して、管理部門は数字の目標を立てづらいです(無理に立てるべきでもないでしょう)。だからこそお役所仕事にならないように、管理部門の社員は自身の職務範囲を曖昧に捉えておくべきだと考えています。

管理部門の使命を一言で言うと、自社を良くすることのはずです。それであれば、人材採用もトイレの電球交換も等しく自社を良くするための仕事であり、自分の仕事じゃない仕事なんてないはずです。

もちろん役割分担はあるでしょうし、自分では対応できない依頼もたくさんあるでしょうが、上記のような理念/考えを持っていれば、「私の担当じゃないんで」などというホスピタリティに欠けた対応にはなりえません。
先の例で言えば、「△△さんのところまで案内し事情を説明する」「△△さんがいないのであれば用件を聞いて緊急かどうかを判断し、いつまでに対応できるかを伝えたうえで△△さんに連絡する」などの行動がとれるはずです。

長期的に見ると自分がやらないほうが良い仕事はある

とはいえ。中には、今のところ誰もやらないから自分が対応しているけれど、長期的に見れば自分がやらないほうが良さそうな種類の仕事もあります。
自分がやらないほうがいい仕事をなあなあでやり続けるのは決して会社のためになりませんので、自分が対応しなくてもいいような仕組みを作るところまでが自分の仕事だと心得たいものです。